・・・ 生い立ち ・・・ | |
誕生〜15歳 | 新潟県栃尾(現長岡)市の雪深い農村で生育 ・美しい棚田越しに、左手に守門岳、右手に越後三山が望めた ・くん子と呼ばれ、 野山を駆け回るガキ大将 ・中学時代は卓球部員(排球をやりたかったが身長体重ともに不足で断念) |
15〜18歳 | 高校生(女子校) 長岡市で下宿・自炊生活 ・自他ともに「勤勉・頑張り屋さん」? |
18〜22歳 | 大学生(男多女少校) 上京して下宿・自炊生活 ・学業とバイトのかたわら ワンゲル部で登山と山スキーを楽しんだ ・友人にもらったマッターホルンのパネル写真を部屋に貼り憧れていた |
22〜34歳 | 勤労者(神奈川県寒川町の○○で) ・毎年おこなわれる職場対抗親睦バレーボール大会で中学時代の念願が叶う ・5年間の独身時代は、新潟県から寒川町に転居した実家(酒屋)から通勤 結婚後7年間は育児休業を取りながらの一人三役、三女出産後に退職 |
27歳〜 | 職場結婚して茅ヶ崎市に居住 夫は2007年に定年退職 |
36〜44歳 | 江ノ島女性センターの各種の講演・講座を受講して資格も取得 ・初代館長の星野昌子(元読売新聞社員)さんに感銘 彼女の人脈の広さで多くの有名人に出会えた 樋口恵子・原田静枝・福島瑞穂・島田歌穂・今井通子・俵万智・大島渚・川田龍平… ・再就職講座でワープロ・パソコン・簿記・税法・起業法などを学習 |
41歳 | 温存療法(日本では当時2%)で乳癌手術、術後化学療法を受ける ・半年前に姉がハルステッド法で胸筋とリンパ節を抉り取った傷跡に衝撃 ・茅ヶ崎徳洲会で米帰りの雨宮厚・慶応病院近藤誠両医師チームの治療 ・私の手術場面と乳房がTBSテレビで全国放映されるというオマケ付き ・術後2年近くは心身共に廃人のようだったが、サッカープレーで立ち直る |
44〜51歳 | アルバイター(厚生労働省管轄の女性再就職講座・簿記を担当) ・18〜70歳代女性を対象に簿記資格取得の講座は楽しくてやりがいがあった ・男女雇用機会均等法の制定(実態?)により逆差別となり講座が廃止 |
50歳〜 | 孫娘の誕生でババ と呼ばれるようになり…ブーツ |
68歳 | 二人目の孫娘の誕生でババ は大忙し疲れる―! |
・ ・ ・ 身内と病気 ・ ・ ・ | |
37歳 | 理解・協力者だった母が大腸・胃癌で10年間の闘病後65歳で他界 |
43歳 | 山仲間だった姉(きっかけは私)が乳癌で2年半の闘病後46歳で他界 ・姉夫婦には子供がいなかったが、我娘三人を可愛がって資金援助もしくれた ・労山では婦人部員として全国理事を務め、夫婦でも登山(海外も)を楽しんでいた |
46歳 | 義兄も姉の後を追うように3年後50歳代で小腸癌で他界 |
48歳 | 金銭援助者だった父が肺癌で1年間の闘病後83歳で他界 |
・・・ 趣 味 ・・・ | |
44〜55歳 | 女子サッカーチーム「湘南B.G.S'」を結成し、県女子リーグU部で試合 ・少女チームで育った娘(15〜25歳位)とその母親達からなる奇妙なチーム ・35分ハーフの試合はきつかったが、若い子の援護でFWのいい思いをした ・観るよりはやって楽しく、体験したスポーツの中で最も好き ・10周年記念パーティ後、メンバーの就職・結婚・高齢等で解散し今は懇親のみ |
45〜52歳 | テニススクール生 試合が性に合わず人間関係に疲れて辞める |
49歳〜 | 横浜の「NPO みろく山の会」に入会 ・生家から望めた守門岳と越後三山にも登り、山とスキーと温泉を楽しむ ・2007年5月〜2013年5月の6年間理事を務める |
54歳〜 | 音楽鑑賞 兄が誘ってくれたコンサート(当選招待券)をきっかけに |
56歳 | 学生時代から憧れてた マッターホルン(4,478m)に登頂 |
56歳〜 | 公民館でパソコンを習い始める ・3年後にホームページを作成 その半年後からブログも始める |
60歳〜 | 東京都スキー連盟所属の「101スキークラブ」に入会 ・2年後に学生時代から挑戦していたSAJの1級に合格 |
63歳 | 4000mからスカイダイビング 子供の頃トンビが羨ましかった |
65歳 | アフリカ最高峰の キリマンジャロ(5,895m)登頂 マチャメルートでテント6泊7日 |
67〜68歳 | 四国八十八ヶ所徒歩巡礼を4回で結願し、高野山へ満願の報告 |
68歳 | ネパールのエベレスト街道カラバタールで夕映えのエベレストを撮影 |
69歳 | ニュージーランドのクラシックルートをトレッキングし、マウントクックを観光 |